土曜日の空、雨降りの日。
丈の短いスーツを着た、小太りの男性。ビニール傘をさして、交差点で立っている。
水曜日、雨が降っている。小雨と雨の中間くらいで、どっちつかずの雨だ。
雨の飛沫は背負ったリュックに飛ぶ。
駅前公園の前には、保育園バスが来るのを待つ母親と子供の群れ。急ぎ足で過ぎて行く出勤前の人波。
赤信号でも歩行者は横断歩道を渡る。車はクラクションを鳴らしはしなかった。歩行者が通り過ぎるのを無言で待っている。歩行者は急ごうとしない。
そこに、音楽は鳴っているか?
世界の音を集めてメロディーを作る神童さえ、いまは無言だった。電車が駅から発射する音。10日で響くアナウンスの声。歩く音。
すき家の横を通り、信号無視をして改札まで歩く。
Bluetoothが結ぶネットワークには、世界中のポップミュージックが鳴らされている。
耳につけられたコードのないイヤホン。マシーンから体の中に閉じ込めた音楽。
4分33秒後の音。
それはミュージックか?
その時、僕は電車に乗って、サイズの合っていないスーツ姿の男の後ろ姿を思いだす。
彼が初めて恋をした人の顔、愛する女性を思い浮かべようとする。
土曜日、息子の同級生と一緒にこどもの国へ行った。午後から嵐のような風が吹く、と天気予報では言っていた。
女の子2人に男の子1人だった。彼は気にする様子もなく楽しそうだった。3人並んで、作った風車を回すために走り去って行く。
僕は僕を感じようとする。
たとえば、僕の欲望を叶えようとする。欲しいものを、名声を。果てしないお金を。
僕は僕の欲望に耳を傾ける。僕は他者を羨んでいる。あれが欲しい。これが欲しい。あの子はどっだった、この子はどうだった。
僕を知るために必要なのは他者か。
こどもの国を歩く小さな3人の後ろ姿。
曇り空、強い風。ベビーカーを引く音。遠くから聞こえる声。はしゃいでいる。笑っている。泣いている。
丈の短いスーツの男はいつのまにかどこかへ行ってしまった。駅前の交差点で別れたのかもしれない。反対へ進む電車に乗ったのかもしれない。
駅のホーム。たたんだビニール傘をちょんちょんと叩く。電車がやって来る。座るスペースはないけど、次の駅で降りそうな女子高校生がいる。目の前に立って携帯電話を取り出す。
土曜日のことと水曜日のことが混ざる。
あれだ。智恵子抄のあどけない話に似てるんだ。この街は息子たちの街であって、僕らの街じゃない。
ここには本当の空がない。僕の本当の空は、遠い北、置賜盆地に浮かぶ空。
空を失って、スーツの丈を手にしても、その代替としては割に合わない。
それなのに、息子たち3人並んで走る後ろ姿は空そのもので、僕は本当の空を彼の中に見つける。
妻は母親同士で話をしている。
ベビーカーを引く音が少しずつ離れて行く。息子たち、母親たちの間に父親たちは歩く。
風が吹くたびに、寒い、と声を漏らしながら。