水曜日になっても、相変わらず月曜日みたいな気分
登るか、走るか、そればかりしてるみたいだ。
仕事は順調だけど、いつだって順調ってわけじゃない。要は、かなり順調でってこと。
友人の結婚式で水戸へ行った時、ボルダリングジムへ行った。小学生くらいの男の子が、難しい課題をこなしていく。足の先から指の先まで鈍感な場所はない。鋭敏に神経が張り巡らされ、コントロールできないものなんか何もないみたいだ。あいつらはいずれ世界だってコントロールしかねない。
東京、正確には神奈川へ戻ってきて、ホームのボルダリングジムへ行く。強い常連の人が、ガツガツと登る。まさにガツガツと。あらゆるものを力でねじ伏せるように。力こそが最大の技術だ、とある格闘家は言った。その通りだ。力こそが最大の技術だ。
壁についたボルダリングのホールドを指二本で、そこ以外持つところがない、という繊細なアプローチでリーチするとそのまま二本の指で体を左右に振る、彼らの指は折れない。
数ミリのズレが彼らの指を壊すことになったとしても、彼らは恐れず、そのポイントへ指を入れる。大丈夫だ、ダメなら指を抜けばいい。瞬間瞬間に訪れる選択を間違えることはない。
不安定なホールドへ足を移し替えた時、支えていた体がマットへ沈む。太ももほどある腕に血管が浮き出ている。
僕は、世界をコントロールする力も、世界をねじ伏せる力もなく、できるものをできる限りやってのける。どちらへの憧れも抱きながら、どちらへ行くべきかもわからずに。
ボルダリングが終わると、走って帰る。体は弱々しく、脱力している。あと何キロ走れるだろうか、なんて考えている。
灯りの消えた恵比寿ガーデンプレイスを通り抜けると、二、三組の男女が手を繋がずに歩いている。肩が触れそうな距離。去り際に声が聞こえる。光の消えた恵比寿ガーデンプレイスは、夜の穴みたいに真っ暗で、でも東京の夜だからそんなに暗くなくて、男女のカップルの姿がやけに印象的に映る。この場合、僕は何に対して印象的だと思ってるんだろう。
道の通りに抜けると外に出された飲み屋の客の声が響く。駅へ向かう人の群れ、喧騒とまではいかない喧騒が信号待ちに屯う。
アメリカ橋から中目黒の方へ抜ける。車以外何も来ない。まばらな光が道を照らし、空を照らす。目黒川の遊歩道へ着くと、花見を見逃した花見客がビール缶を片手に笑いあう。恋人たちは抱き合い、僕は無言で息を吐く。
三軒茶屋で走る気力が失せた。電車に乗って最寄りの駅へ向かう。さあ、家へ帰ろう。
「この本持ってきなよ」と一冊の本をくれた。
大学時代にいつも遊んでたやつ。いまは学校の教師をしてる。高校で教えている。
そいつは昔から話がうまかったけど、学校のことや家族のこと、あらゆるエピソードの引き出しが増えたみたいだ。
カーナビがついてる車で、カーナビなんか使わずに2次会へ向かおうとするから、しっかり迷った。といっても30分くらいで、主役なんかは1時間も遅れたんだからまだマシな方だと思う。
「『ジーザス・サン』って本、これでもう短編集は充分って感じだ。」って彼は言った。
僕らは無宗教国家で、ジーザスもサンもあったもんじゃないけど、一年前になんとなく別れちゃった女の子の話をする彼の声は、ジーザスでもサンでもいいから、届かないかなって思う。どちらにしても、無宗教国家で、2次会への道もあやふやで、コンビニによって、2次会の場所を探してる僕らにとっちゃ、ジーザスもサンも気にはならない存在ではあった。
でも、声くらいは聞いてるだろう?
通勤の電車の中で『ジーザス・サン』を読んで、走ったりボルダリングしたり。それで、そいつは連絡くれるって言ってたのに、全然くれやしない。ジーザスだよね。全く。
- 作者: デニスジョンソン,Denis Johnson,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2009/03
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 55回
- この商品を含むブログ (40件) を見る